初年度監査の準備で最も負荷が重いのは、期首残高(開始残高)の検証に必要な資料をそろえることです。監査人は初年度に限り、当期の取引だけでなく期首時点の残高についても十分かつ適切な監査証拠を入手しなければならないため(監査基準報告書510 第2項)、継続監査の会社では求められない過年度の資料が追加で必要になります。
ここでは、会計監査人を新たに選任した会社法監査の会社に向けて、追加で求められる資料を一覧で示したうえで、期首残高がどのように検証されるのか、会計方針の継続性はどこを見られるのか、会社法上の期限との関係はどうなるのかを整理します。監査法人の切替えを検討している段階の会社にも、負荷の見積りとしてそのまま使える内容です。
初年度監査で追加で求められる資料一覧
まず結論として、初年度監査で追加になる資料は「前年度に関する資料」と「会社の全体像を理解するための資料」の2種類に分かれます。前者は期首残高の検証のため、後者は監査人が過去の経験を持たないことを埋めるためのものです(監査基準報告書300 A21項)。
期首残高の検証のために求められる資料
監査人は、期首残高に関連する情報を入手するために直近の財務諸表と前任監査人の監査報告書を通読し、前年度の期末残高が当年度に正しく繰り越されているかを確かめます(監査基準報告書510 第4項、第5項(1))。そのため、次の資料は依頼される前提で準備しておくと進行が滞りません。
| 求められる資料 | 監査人が確かめること |
|---|---|
| 前年度の計算書類および附属明細書 | 期首残高の内訳と、期首に存在する偶発債務等の注記事項の把握 |
| 前任監査人の監査報告書(監査を受けていた場合) | 除外事項付意見の有無と、当年度のリスク評価に及ぼす影響 |
| 前期末の勘定科目内訳明細書 | 前年度の期末残高が当年度の期首へ正しく繰り越されているか |
| 前期末時点の残高証明書・確認状の控え | 現金預金、借入金など期首残高の実在性と網羅性 |
| 前期末の実地棚卸表と棚卸集計資料 | 期首の棚卸数量および評価に関する監査証拠の有無 |
| 前期末の固定資産台帳と有価証券の明細 | 取得原価、減価償却累計額など期首残高の基礎となる会計記録 |
| 前期の法人税申告書と税効果の計算資料 | 未払法人税等・繰延税金資産の期首残高の妥当性 |
| 会計方針の一覧と経理規程 | 期首残高に適用された会計方針の内容と当年度への継続性 |
会社の理解のために求められる資料
初年度監査では、監査人は監査契約の締結可否の判断と前任監査人からの引継を監査開始前に実施したうえで(監査基準報告書300 第12項)、会社の事業と業務プロセスを一から理解する必要があります。次の資料は監査計画の段階で求められます。
| 求められる資料 | 監査での用途 |
|---|---|
| 組織図、業務分掌規程、職務権限規程 | 職務分離と承認プロセスの理解、内部統制の評価の出発点 |
| 主要な業務プロセスの業務フロー図 | 販売、購買、在庫、給与など取引種類ごとのリスク評価 |
| 取締役会、監査役会等の議事録 | 重要な意思決定、後発事象、係争事件の把握 |
| 主要な契約書(取引基本契約、借入契約、リース契約) | 取引の実態と会計処理の妥当性、偶発債務の有無 |
| 使用している会計システムの概要資料 | 会計データの信頼性とIT統制の評価範囲の決定 |
| 子会社および関連会社の一覧と決算資料 | 連結計算書類を作成する場合の企業集団の範囲の把握 |
会計監査人は、いつでも会計帳簿やこれに関する資料の閲覧および謄写を求めることができ、必要があるときは子会社に対しても会計に関する報告を求め、業務および財産の状況を調査することができます(会社法 第396条第2項、第3項)。資料提出の求めは契約上のお願いではなく法律上の権限に基づくものである点は、社内の説明で押さえておくと調整が進みます。
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期首残高の検証で監査人が実施する手続
初年度監査における監査人の目的は、期首残高に当年度の財務諸表へ重要な影響を及ぼす虚偽表示が含まれていないか、および期首残高に適用した会計方針が当年度に継続して適用されているかについて、十分かつ適切な監査証拠を入手することです(監査基準報告書510 第2項)。ここでいう期首残高には、会計期間の開始時点に存在する勘定残高に加えて、期首に存在する偶発債務等の注記が必要な事項も含まれます(監査基準報告書510 第3項(2))。
3つの手続の使い分け
監査人は、期首残高に関する監査証拠を入手するために、次の3つの手続のうち一つまたは複数を実施します(監査基準報告書510 第5項(3))。会社側の準備の重さは、どれが選ばれるかで大きく変わります。
| 前任監査人の 監査調書の閲覧 |
前年度の財務諸表が監査されている場合に選択されます。実査、立会、確認に関連する監査調書の閲覧が特に有用とされ、会社側の追加負担は最も軽くなります。ただし十分な証拠を得られるかは前任監査人の専門的能力と独立性に左右されます(監査基準報告書510 A2項)。 |
|---|---|
| 当年度の監査手続 による代替 |
当年度に実施する監査手続から期首残高の証拠が得られるかを評価する方法です。売掛金や買掛金は当年度中の回収・支払によって期首残高の実在性や評価の証拠が得られます(監査基準報告書510 A4項)。 |
| 期首残高に対する 特定の監査手続 |
上記2つで足りない場合に、期首残高そのものへ手続を実施します。固定資産や長期債務では期首残高の基礎となる会計記録の検討や第三者への確認が行われます(監査基準報告書510 A5項)。会社側の資料準備の負荷が最も重くなる類型です。 |
棚卸資産の期首数量という落とし穴
実務で最も問題になりやすいのは棚卸資産です。期末の棚卸資産残高に対する当年度の監査手続を実施しても、期首の実地棚卸数量についての監査証拠はほとんど入手できないため、追加的監査手続が必要になります(監査基準報告書510 A4項)。具体的には、当年度の実地棚卸に立ち会って結果から期首数量へ遡って調整する方法、期首の棚卸資産残高の評価に対する手続、売上総利益と期間帰属に対する手続などが実施されます。
したがって、前期末の実地棚卸表、棚卸差異の調整資料、受払記録は、たとえ前任監査人の立会いを受けていた場合でも保管状態を確認しておく必要があります。前年度の財務諸表が監査されていない会社では、この論点が初年度監査で意見に影響する可能性が最も高い領域です。
虚偽表示が見つかった場合の流れ
期首残高に当年度の財務諸表へ重要な影響を及ぼす可能性のある虚偽表示の証拠を入手した場合、監査人は状況に応じた追加的監査手続を実施し、虚偽表示が存在すると判断したときは経営者および監査役等へ報告します(監査基準報告書510 第6項)。さらに監査期間中にそのような判断に至った場合、監査人は前任監査人を含めた三者間で協議するよう会社に求めなければなりません(監査基準報告書510 第6項)。この協議の窓口となるのは会社であるため、前任監査人との関係が良好なうちに交代を進めておくことが実務上の備えになります。
会計方針の継続性の確認
監査人は、期首残高に適用した会計方針が当年度の財務諸表に継続して適用されているか、または会計方針の変更が財務報告の枠組みに準拠して適切に処理され表示および注記が妥当かについて、十分かつ適切な監査証拠を入手しなければなりません(監査基準報告書510 第7項)。継続していない場合や変更の処理が不適切な場合で、その影響が重要なときは、限定意見または否定的意見の対象になります(監査基準報告書510 第11項)。
実務では、監査法人の交代を機に「これまでの処理を見直したい」という要望が社内から出ることがあります。会計方針の変更は正当な理由と遡及適用の要否の検討を伴うため、初年度監査の期中に思いつきで動かせるものではありません。変更を検討するなら、監査計画の策定段階で監査人へ論点として提示しておくことが必要です。
また、期首残高に関する十分かつ適切な監査証拠を入手できず、その影響が重要である場合、監査人は監査範囲の制約に関する限定意見を表明するか、意見を表明しないこととなります(監査基準報告書510 第9項)。資料が出せないことが、そのまま意見に跳ね返る構造である点は初年度監査に固有のリスクです。
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会社法上の手続と期限の押さえどころ
初年度監査の準備は、会社法上の機関手続と同じ時間軸で動きます。会計監査人は株主総会の決議によって選任し、その議案の内容は監査役(監査役会設置会社では監査役会)が決定します。任期は選任後1年以内に終了する事業年度のうち最終のものに関する定時株主総会の終結の時までで、別段の決議がなければ再任されたものとみなされます。
| 設置義務の判定 | 資本金5億円以上または負債総額200億円以上の大会社は会計監査人を置かなければなりません(会社法 第2条第6号、第328条第1項、第2項)。会計監査人は公認会計士または監査法人に限られます(会社法 第337条第1項)。 |
|---|---|
| 選任の決議 | 会計監査人は株主総会の決議によって選任し、選任議案の内容は監査役会が決定します(会社法 第329条第1項、第344条第1項、第3項)。 |
| 報酬等の同意 | 取締役が会計監査人の報酬等を定める場合は、監査役会の同意を得る必要があります(会社法 第399条第1項、第2項)。初年度は監査工数が増えるため、この同意手続の前に見積根拠を整理します。 |
| 任期とみなし再任 | 任期は選任後1年以内に終了する事業年度のうち最終のものに関する定時株主総会の終結の時までで、別段の決議がなければ再任とみなされます(会社法 第338条第1項、第2項)。 |
| 監査の対象 | 会計監査人設置会社では、計算書類およびその附属明細書は監査役等と会計監査人の監査を受けなければなりません(会社法 第436条第2項第1号)。会計監査人は会計監査報告を作成します(会社法 第396条第1項)。 |
| 会計監査報告の 通知期限 |
計算書類の全部を受領した日から4週間を経過した日、附属明細書を受領した日から1週間を経過した日、特定取締役・特定監査役・会計監査人の合意により定めた日のうち、最も遅い日までに通知されます(会社計算規則 第130条第1項第1号)。 |
連結計算書類を作成する会社では、連結計算書類についても監査役等と会計監査人の監査が必要で(会社法 第444条第4項)、会計監査報告の通知期限は連結計算書類の全部を受領した日から4週間を経過した日となります(会社計算規則 第130条第1項第3号)。事業年度末日において大会社であり有価証券報告書の提出義務がある会社は、連結計算書類の作成が義務づけられています(会社法 第444条第3項)。
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初年度監査の準備でつまずきやすい点
公認会計士として初年度監査に関与してきた経験から、会社側の準備で行き詰まりやすい論点を挙げます。いずれも監査開始後に判明すると日程を大きく圧迫するため、契約前後の段階で確認しておくことをおすすめします。
| 前期資料の 保管状態 |
実地棚卸表や残高確認状の控えが電子データで残っていない、担当者の退職で経緯が分からないというケースが多くあります。監査契約の締結前に、前期末資料の所在を一覧で棚卸しします。 |
|---|---|
| 前任監査人との 関係悪化 |
監査調書の閲覧も三者協議も、会社が前任監査人へ働きかけることで成立します。報酬交渉のこじれや意見不一致を理由とする交代では、この経路が使えず監査手続が重くなります。 |
| 初年度の 工数増加 |
初年度は監査計画の策定に過去の経験を使えないため、計画活動がより広く実施されます(監査基準報告書300 A21項)。往査日数と社内対応工数を継続監査と同じ前提で見積もると破綻します。 |
| 会計方針の 見直し要望 |
交代を機とした会計方針の変更は、正当な理由の検討と遡及適用の要否の判断が必要です。監査計画の段階で論点として共有しないと、期末に持ち越して日程を圧迫します。 |
| 未監査年度の 存在 |
前年度の財務諸表が監査されていない場合、期首残高の証拠は当年度の手続または特定の監査手続で入手するほかありません。棚卸資産と引当金は特に手当てが必要です。 |
| 子会社の 資料提出体制 |
会計監査人は子会社にも報告を求め調査ができますが(会社法 第396条第3項)、実際に動くのは子会社の経理担当者です。親会社側で提出期限と様式を統一しておきます。 |
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まとめ
初年度監査の準備の核心は、期首残高の検証に必要な前年度資料をそろえることにあります。監査人は前年度の期末残高が当年度へ正しく繰り越されているかと、期首残高に適切な会計方針が適用されているかを確かめたうえで、前任監査人の監査調書の閲覧、当年度の監査手続による代替、期首残高に対する特定の監査手続のいずれかを実施します(監査基準報告書510 第5項)。
会社側は、前期末の計算書類、勘定科目内訳明細書、残高証明書、実地棚卸表、固定資産台帳を早期に一覧化し、あわせて組織図や業務フロー、議事録、主要契約書といった会社理解のための資料を用意します。期首残高について十分かつ適切な監査証拠が得られなければ意見に影響が及ぶため(監査基準報告書510 第9項)、資料準備は日程管理そのものです。
会計監査人の選任、報酬等への監査役会の同意、会計監査報告の通知期限といった会社法上の手続とも同じ時間軸で進みます(会社法 第329条第1項、第399条第1項、会社計算規則 第130条第1項)。機関設計や事業の実態によって準備の重さは変わりますので、具体的なケースは公認会計士へのご相談をおすすめします。
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よくある質問
初年度監査とは何を指しますか。
監査人が初めて締結する監査契約による監査をいい、前年度の財務諸表が監査されていない場合と、前年度の財務諸表が前任監査人によって監査されている場合の2つがあります(監査基準報告書510 第3項(1))。どちらに該当するかで、期首残高の検証に必要な手続と会社側の資料準備の重さが変わります。
期首残高の検証にはなぜ前年度の資料が必要なのですか。
期首残高は前年度の期末残高に基づいており、過年度の取引および事象の影響と前年度に採用した会計方針を反映しているためです(監査基準報告書510 第3項(2))。監査人は前年度の期末残高が当年度に正しく繰り越されているかを確かめる必要があります(監査基準報告書510 第5項(1))。
前任監査人の監査調書は必ず見てもらえますか。
前年度の財務諸表が監査されている場合、監査調書の閲覧により期首残高に関する十分かつ適切な監査証拠を入手できることがあります(監査基準報告書510 A2項)。ただし閲覧が実現するかは前任監査人の対応にもよるため、会社が交代の経緯を丁寧に説明し、引継の場を設けることが実務上の前提になります。
前年度が無監査の場合、初年度監査は受けられませんか。
受けられますが、期首残高の証拠を当年度の監査手続または期首残高に対する特定の監査手続で入手する必要があります(監査基準報告書510 第5項(3))。棚卸資産は当年度の期末手続では期首数量の証拠をほとんど得られないため、当年度の実地棚卸からの遡及調整などの追加手続が必要になります(監査基準報告書510 A4項)。
期首残高の資料が用意できない場合はどうなりますか。
期首残高に関する十分かつ適切な監査証拠を入手できず、その影響が重要である場合、監査人は監査範囲の制約に関する限定意見を表明するか、意見を表明しないこととなります(監査基準報告書510 第9項)。資料の欠落は監査意見に直結するため、契約前の段階で保管状況を確認しておくことが重要です。
初年度監査の準備はいつから始めるべきですか。
監査人は監査契約の締結可否の判断と前任監査人からの引継を初年度監査の開始前に実施するため(監査基準報告書300 第12項)、会社側の準備も監査契約の交渉と並行して始めます。会計監査人の選任は株主総会の決議によるため(会社法 第329条第1項)、定時株主総会から逆算して前期末資料の棚卸しに着手するのが実務上の目安です。