退職給付に関する会計基準(企業会計基準第26号)は、従業員の退職以後に支払う給付をどのように費用と負債へ落とし込むかを定めた基準です。上場準備企業や中堅企業では、退職給付債務や退職給付費用の見積りが財務諸表に与える影響が大きく、監査対応でも論点になりやすい領域です。本記事では、公認会計士の視点から、退職給付債務の計算、退職給付費用を構成する項目、数理計算上の差異の処理、割引率などの基礎率、個別と連結の違い、開示の実務ポイントまでを整理します。まず全体像をつかみ、次に各論点を順に確認していきましょう。
退職給付に関する会計基準の全体像
退職給付に関する会計基準は、一定の期間にわたり労働を提供したこと等に基づいて、退職以後に支給される給付(退職給付)の会計処理に適用されます。株主総会の決議等が必要となる取締役や監査役など、いわゆる役員の退職慰労金は、この基準の適用範囲には含まれません企業会計基準委員会 企業会計基準第26号 退職給付に関する会計基準。本基準を適用する際には、企業会計基準適用指針第25号「退職給付に関する会計基準の適用指針」もあわせて参照する必要があります。
本基準は平成24年に改正され、退職給付債務や勤務費用に関する定めは平成26年4月1日以後開始する事業年度の期首から適用されています。実務では、未認識の項目をどこまで貸借対照表に取り込むか、個別財務諸表と連結財務諸表で処理が異なる点が特に重要になります。まずは制度区分の定義から確認します。
確定給付制度と確定拠出制度の区分
退職給付制度は、大きく確定拠出制度と確定給付制度に分かれます。確定拠出制度とは、一定の掛金を外部に積み立て、事業主である企業が掛金以外に追加的な拠出義務を負わない制度をいいます。確定給付制度とは、この確定拠出制度以外の退職給付制度を指します企業会計基準委員会 企業会計基準第26号 退職給付に関する会計基準。
確定拠出制度では、その制度に基づく要拠出額をもって費用処理し、未拠出の額は未払金として計上するため、会計処理は比較的シンプルです。一方で確定給付制度は、将来の給付を見積もって退職給付債務を計算する必要があり、数理計算や基礎率の設定が論点となります。以下では、実務上の難所となる確定給付制度を中心に解説します。
退職給付債務と退職給付費用の会計処理
確定給付制度の会計処理は、貸借対照表に計上する負債(または資産)と、損益計算書に計上する退職給付費用の二つの側面から理解すると整理しやすくなります。結論から言えば、貸借対照表には積立状況を示す額を計上し、損益計算書には当期に発生した費用項目を計上します。ここでは、それぞれの計上ルールを順に確認します。
貸借対照表における積立状況の計上
貸借対照表では、退職給付債務から年金資産の額を控除した額(積立状況を示す額)を負債として計上します。年金資産の額が退職給付債務を超える場合には、資産として計上します企業会計基準委員会 企業会計基準第26号 退職給付に関する会計基準。ここでいう年金資産とは、退職給付以外に使用できないことや、事業主および事業主の債権者から法的に分離されていることなど、所定の要件をすべて満たす特定の資産をいいます。
連結財務諸表では、未認識数理計算上の差異および未認識過去勤務費用についても、税効果を調整のうえ、純資産の部のその他の包括利益累計額に「退職給付に係る調整累計額」等の科目で計上します。この点は、後述する個別財務諸表の取扱いと異なるため注意が必要です。
退職給付費用を構成する五項目
退職給付費用として当期純利益に含めて計上する額は、次の五つの項目から構成されます。原則として売上原価または販売費及び一般管理費に計上します企業会計基準委員会 企業会計基準第26号 退職給付に関する会計基準。
- 勤務費用(1期間の労働の対価として発生した退職給付)
- 利息費用(期首の退職給付債務に対する時の経過による利息)
- 期待運用収益(年金資産の運用により合理的に期待される収益。費用の控除項目)
- 数理計算上の差異に係る当期の費用処理額
- 過去勤務費用に係る当期の費用処理額
利息費用は、期首の退職給付債務に割引率を乗じて計算します。期待運用収益は、期首の年金資産の額に長期期待運用収益率を乗じて計算します。全体像を式にすると次のとおりです。
退職給付債務と勤務費用の計算
退職給付債務は、退職により見込まれる退職給付の総額(退職給付見込額)のうち、期末までに発生していると認められる額を割り引いて計算します。勤務費用は、退職給付見込額のうち当期に発生したと認められる額を割り引いて計算します企業会計基準委員会 企業会計基準第26号 退職給付に関する会計基準。退職給付見込額は、合理的に見込まれる退職給付の変動要因を考慮して見積ります。
退職給付見込額のうち期末までに発生したと認められる額を各期へ配分する方法(期間帰属)には、次の二つがあり、いったん採用した方法は継続して適用する必要があります。
| 期間帰属の方法 | 各期の発生額の考え方 |
|---|---|
| 期間定額基準 | 退職給付見込額を全勤務期間で除した額を各期の発生額とする方法 |
| 給付算定式基準 | 給付算定式に従って各勤務期間に帰属させた給付に基づき見積った額を各期の発生額とする方法 |
給付算定式基準による場合、勤務期間の後期における給付が初期よりも著しく高い水準となるときには、当該期間の給付が均等に生じるとみなして補正した給付算定式に従わなければなりません。どちらの方法を選ぶかは退職給付債務の水準に影響するため、制度設計を踏まえた検討が求められます。
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数理計算上の差異と過去勤務費用の処理
数理計算上の差異とは、年金資産の期待運用収益と実際の運用成果との差異、退職給付債務の数理計算に用いた見積数値と実績との差異、および見積数値の変更等により発生した差異をいいます。過去勤務費用とは、退職給付水準の改訂等に起因して発生した退職給付債務の増加または減少部分をいいます企業会計基準委員会 企業会計基準第26号 退職給付に関する会計基準。いずれも当期に一括して損益とするのではなく、一定期間にわたって費用処理する点が特徴です。
数理計算上の差異は、原則として各期の発生額について、予想される退職時から現在までの平均的な期間(平均残存勤務期間)以内の一定の年数で按分した額を毎期費用処理します。過去勤務費用も同様に、平均残存勤務期間以内の一定の年数で按分した額を毎期費用処理します。当期に発生し費用処理されない部分は、未認識数理計算上の差異および未認識過去勤務費用として扱われます。
連結財務諸表では、これらの未認識の項目を、その他の包括利益で認識したうえで、純資産の部のその他の包括利益累計額に計上します。その際、その他の包括利益に関する法人税等および税効果を調整するため、税効果会計との関係を正しく理解しておくことが実務上重要になります企業会計基準委員会 企業会計基準適用指針第25号 退職給付に関する会計基準の適用指針。
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割引率などの計算基礎の設定
退職給付債務や退職給付費用の金額は、計算に用いる基礎率によって大きく変わります。基礎率には割引率、長期期待運用収益率、退職率、死亡率、予想昇給率などがあり、いずれも合理的な根拠に基づいて設定する必要があります。ここでは主要な基礎率と、その見直しの判断について整理します。
割引率と長期期待運用収益率
割引率は、安全性の高い債券の利回りを基礎として決定します。この安全性の高い債券の利回りには、期末における国債、政府機関債および優良社債の利回りが含まれます。優良社債には、例えば、複数の格付機関による直近の格付けがダブルA格相当以上を得ている社債等が含まれます企業会計基準委員会 企業会計基準適用指針第25号 退職給付に関する会計基準の適用指針。割引率は退職給付の支払見込期間を反映する必要があり、単一の加重平均割引率を用いる方法や、支払見込期間ごとに設定した複数の割引率を用いる方法が認められます。
長期期待運用収益率は、年金資産が退職給付の支払に充てられるまでの時期、保有している年金資産のポートフォリオ、過去の運用実績、運用方針および市場の動向等を考慮して設定します。市場環境の変化を無視した過度に高い収益率は、監査上も問題となりやすいため、根拠の文書化が欠かせません。
退職率・死亡率・予想昇給率
その他の計算基礎も、退職給付債務の見積りに影響します。退職率は、在籍する従業員が自己都合や定年等により生存退職する年齢ごとの発生率であり、リストラクチャリングに伴う大量解雇などの異常値を除いた過去の実績に基づいて合理的に算定します企業会計基準委員会 企業会計基準適用指針第25号 退職給付に関する会計基準の適用指針。
死亡率は、従業員の在職中および退職後における年齢ごとの死亡発生率であり、事業主の所在国における全人口の生命統計表等を基に合理的に算定します。予想昇給率は、個別企業における給与規程、平均給与の実態分布および過去の昇給実績等に基づき、急激な業績拡大などの異常値を除いて合理的に推定します。これらは個別企業ごとに算定することが原則です。
計算基礎の見直し
計算基礎は毎期必ず洗い替えるわけではなく、重要な変動が生じていない場合には見直さないことができます(重要性基準)。ただし、割引率については各事業年度において再検討し、その変動が退職給付債務に重要な影響を及ぼすと判断した場合には見直して再計算する必要があります企業会計基準委員会 企業会計基準適用指針第25号 退職給付に関する会計基準の適用指針。
重要な影響の有無の判断にあたっては、前期末に用いた割引率で算定した退職給付債務と比較して、期末の割引率で計算した退職給付債務が10%以上変動すると推定されるときには、重要な影響を及ぼすものとして期末の割引率を用いて再計算しなければなりません。長期期待運用収益率やその他の基礎率についても、当期損益や退職給付債務に重要な影響があると認められる場合に再検討します。
個別財務諸表と連結財務諸表の違い
退職給付の会計処理は、個別財務諸表と連結財務諸表で取扱いが異なります。連結財務諸表では、未認識数理計算上の差異および未認識過去勤務費用を貸借対照表に取り込みますが、個別財務諸表では当面の間、これらを取り込まない取扱いが認められています企業会計基準委員会 企業会計基準第26号 退職給付に関する会計基準。
具体的には、個別貸借対照表上は、退職給付債務に未認識数理計算上の差異および未認識過去勤務費用を加減した額から年金資産の額を控除した額を負債として計上します。この負債は「退職給付引当金」の科目で固定負債に計上し、資産となる場合は「前払年金費用」等の科目で固定資産に計上します。連結財務諸表を作成する会社は、個別財務諸表においてこの取扱いが連結と異なる旨を注記します。
| 連結財務諸表 | 個別財務諸表(当面の取扱い) |
|---|---|
| 未認識項目を純資産(その他の包括利益累計額)に計上し、負債・資産に反映する | 未認識項目を貸借対照表に取り込まず、退職給付引当金・前払年金費用で計上する |
確定給付制度の開示
確定給付制度については、財務諸表の表示に加えて、幅広い注記が求められます。表示面では、積立状況を示す額のうち負債となる場合は「退職給付に係る負債」等の科目で固定負債に、資産となる場合は「退職給付に係る資産」等の科目で固定資産に計上します企業会計基準委員会 企業会計基準第26号 退職給付に関する会計基準。
注記事項としては、退職給付の会計処理基準に関する事項、確定給付制度の概要、退職給付債務や年金資産の期首・期末残高の調整表、退職給付に関連する損益、年金資産に関する事項、数理計算上の計算基礎に関する事項などが求められます。なお、連結財務諸表で注記している場合には、一定の事項について個別財務諸表での記載を要しないとされています。開示項目は多岐にわたるため、決算早期化の観点からも前広な準備が重要です。
実務上の留意点
実務では、退職給付の計算を年金数理人(アクチュアリー)に委託するケースが多いものの、会計処理の最終的な責任は企業側にあります。委託先から受領した数理計算結果について、採用した基礎率が前期から合理的に説明できるか、割引率の10%基準に照らして見直しが必要でないかを、経理部門自らが検証する姿勢が求められます。基礎率の設定根拠は必ず文書化し、監査対応に備えておくとよいでしょう。
また、従業員数が比較的少ない小規模な企業等では、退職給付に係る財務諸表項目に重要性が乏しい場合に、期末の退職給付の要支給額を用いた見積計算等の簡便な方法を用いることが認められています。上場準備の局面では、簡便法から原則法への移行や、期間帰属方法の選択が財務諸表に与えるインパクトを早期に把握しておくことが、スムーズな上場審査につながります。具体的なケースは公認会計士へのご相談をおすすめします。
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退職給付に関する会計基準(企業会計基準第26号)は、退職給付債務と年金資産から積立状況を示す額を求め、勤務費用・利息費用・期待運用収益等から退職給付費用を計算する枠組みです。数理計算上の差異や過去勤務費用は平均残存勤務期間以内で費用処理し、連結では未認識項目を純資産に取り込む一方、個別財務諸表では当面取り込まない違いがあります。割引率をはじめとする基礎率の設定と見直し、そして詳細な開示が実務上の要となります。基準の趣旨を正しく理解し、根拠を文書化したうえで、専門家と連携しながら適切な会計処理を進めていきましょう。
参考文献
よくある質問
退職給付債務とはどのようなものですか。
退職給付債務とは、退職により見込まれる退職給付の総額(退職給付見込額)のうち、認識時点までに発生していると認められる部分を割り引いたものをいいます。将来の給付を見積り、期末までに発生した額を割引率で現在価値へ引き直して計算します。
数理計算上の差異はどのように費用処理しますか。
数理計算上の差異は、原則として各期の発生額について、平均残存勤務期間以内の一定の年数で按分した額を毎期費用処理します。当期に費用処理されない部分は未認識数理計算上の差異となり、連結財務諸表ではその他の包括利益を通じて純資産の部に計上されます。
個別財務諸表と連結財務諸表で処理は異なりますか。
異なります。連結財務諸表では未認識数理計算上の差異および未認識過去勤務費用を貸借対照表に取り込みますが、個別財務諸表では当面の間これらを取り込まず、退職給付引当金や前払年金費用の科目で計上します。連結を作成する会社は、個別財務諸表でこの取扱いが連結と異なる旨を注記します。
割引率はどのように決めますか。
割引率は、安全性の高い債券の利回りを基礎として決定します。具体的には期末における国債、政府機関債および優良社債の利回りが含まれ、優良社債には複数の格付機関による直近の格付けがダブルA格相当以上の社債等が含まれます。各期に再検討し、退職給付債務が10%以上変動すると推定されるときは見直して再計算します。